天童市議会 2009-12-03 12月03日-02号
次いで坂本竜馬、徳川家康、上杉鷹山、そして本県にもゆかりの深い渋沢栄一だったそうでございます。実に織田信長、トップなんですね。こんなすばらしいトップの人物の社として天童市の建勲神社にまつっているわけです。これをもっとPRすべきではないかと。天童市はこういったPRは下手であるというふうな市民からの声もあります。
次いで坂本竜馬、徳川家康、上杉鷹山、そして本県にもゆかりの深い渋沢栄一だったそうでございます。実に織田信長、トップなんですね。こんなすばらしいトップの人物の社として天童市の建勲神社にまつっているわけです。これをもっとPRすべきではないかと。天童市はこういったPRは下手であるというふうな市民からの声もあります。
主人公の直江山城守兼続は,敵将徳川家康にあてた「直江状」で全国的にも有名な武将でありますが,我が山形の最上義光は,数年前の同じNHK大河ドラマ「伊達政宗」の中で,残忍で非情な戦国大名として描かれ,以前にもこの場において,脚本家であるジェームス三木を,私が名指しで批判したことがありました。
攻める上杉軍の総大将は直江兼続公,幼くして上杉謙信公の影響を受けて成長し,謙信公の後継者である景勝公の右腕として天下にその名をとどろかせ,豊臣秀吉から重視される一方,徳川家康が最も恐れた武将でもありました。 上杉軍4万に対し,最上軍1万5,000。軍勢からしてみて,巨象対うさぎ同然の対決であります。最上軍の善戦により,長谷堂城をめぐる攻防戦は延々と半月余りにも及びました。
「中山まつり」と昔は言って、要は徳川信康、家康の長男ですけれども、今川の血を引く徳川信康、徳川家康の長男、織田信長の娘婿です。これの霊を合祀している神社、中山神社。この信康の霊を慰めるための警護の巡行ということで、中山まつり、江戸時代から、江戸の初期から2年に1度行ってきたものだと。徳川幕府から目付も来ておりますし、そういう史実がしっかりとあるんです。松山能でも同じです。